1999年5月25日
22日の新聞のテレビ欄に「放送禁止歌」というタイトルの番組が書いてあったので、思わずビデオを予約してしまいました。翌日、テープを再生すると「Non-Fix」の文字とともに番組が始まりました。フジテレビのドキュメンタリー番組の一テーマだったわけです。
番組では、「放送禁止歌」と呼ばれるものが何十曲もあるけれども、正確には「要注意歌謡曲」といい、これらの曲を放送で使用する場合には取扱いに気をつけろ、と民放連が勧告しているだけで、拘束力はないし「放送禁止」というわけでもない、と述べていました。そこで往年のいわゆる「放送禁止歌」を数曲ほど紹介していました。
改めて聴くと、どれも非常に興味深い曲ばかりでした。歌詞の中に社会に対する怒りや願いが凝縮されているのです。南北朝鮮の統一を願う『イムジン河』や部落差別を取り上げた『手紙』などは「なぜこんないい曲が要注意指定になったのか」と正直思いました。
さて、ここで考えたのは「なぜ規制されなければならなかったのか」ということです。「要注意指定」を受けた曲のほとんどが1960年〜1970年代に発表されたものです。学生運動と並行してフォークソングも全盛期で、反戦や社会風刺を歌ったものが大流行した頃です。要注意指定の歌謡曲以外にも、反戦傾向、社会風刺の番組を打ち切らせることもありました。高度経済成長の真っ只中、その勢いを阻むもの、政策を批判するものは徹底して圧力をかけて排除していった、といえるかもしれません。それがたとえ歌謡曲だったとしても、ニュース番組だったとしても…。何とも暗い時代です。
しかし、番組では政治圧力については触れていません。むしろ、規制するのはごく普通の「市民」であり、「一視聴者」であり、そして「制作者」であることをメッセージとしていたのです。
全体の意味を考えず、ことばの一部分だけ見て
「これはダメだ、中止しろ」
と言ったり、
「批判に反論するだけの時間と余裕がなかった」
ために安易な解決=お蔵入りするをしてしまったり、
「以前、これを出したら文句を言われた。次も文句を言われそうだから、自主規制しよう」
など、日常的に何気なくしている判断が本来存在しないはずの「放送禁止歌」を作っていることを訴えているのです。それは歌だけに限ったものではありません。「ことば狩り」、「自主規制」−「本当に言わなければならないこと」まで口を閉ざしてしまうこと、無難を選んで自ら「規制」を受け入れてしまうこと−自分にもそういう所がないか自問自答させられました。